2015年10月27日
ノスタルジーに浸る
週末、童心に返った。
たまたま近くまで行く用事があったことから、空き時間に、子ども時代を過ごした街に寄ってみた。
覚王山。
今でこそ、名古屋の高級住宅街と言われ、こジャレたお店や高級マンションも目立つが、日泰寺という由緒あるお寺のある古い街。
表通りから一本中に入ると、50年は経つであろう黒い木塀で囲まれた大きな家や、手入れされた広い日本庭園の家が
子ども時代の思い出そのままに残っている。友人達もそんな大きな家々に住んでいたが、当時のまま。
古い街ならでは、大きな木々も多く、緑ゆたか。風が吹けば、ざーっと葉がさざめき清々しい気持ちになる。
散歩をしながら、かつて住んでいた場所も訪ねてみる。
通っていたカトリック系のちっちゃな幼稚園は閉園していて、園長先生の住居だった洋館と大きな洋犬が走り回っていた庭だけに。洋館は、大正時代のものということで保存住居に指定されていた。
さらに足を進める。目指す先は、住んでいた家の裏庭の先にあった小さな豆腐屋さん。
母に頼まれるとアルミの入れ物を抱え、裏庭の金網の破れをすり抜け、お豆腐を買いに行っていたのだが、さすがにないだろうと思っていたら、あった!
思わず店をのぞきこむと、おじさんが、
「いらっしゃい!」
「おじさん、昔ここに庭が坂になった小さい家があったの覚えてる?」
「あーあー、知ってるよ。大きな木があったよね。」
「そうそう!25年前までここに住んでたの。」
そんな会話を交わしながら、一丁100円のお豆腐を買う。
住んでいた家は、ピアノを玄関に置くしかなかったほど小さな家で、弾きながらバランスをくずし、後ろ向きのまま玄関のたたきに転げ落ちたことも。しかも、木がボーボー、草ボーボーだから青大将やムカデもよく登場。
それでも大好きだった。ワタシの原点。
駅に戻る途中、真っ白な蛇が木に巻きついていた山神社に立ち寄る。秋祭り。法被を着て獅子舞をし、厄除けに額に朱を塗ってもらったことを思い出す。
気持ちはすっかり子ども時代に戻り、心もきれいに洗われた。
たまたま近くまで行く用事があったことから、空き時間に、子ども時代を過ごした街に寄ってみた。
覚王山。
今でこそ、名古屋の高級住宅街と言われ、こジャレたお店や高級マンションも目立つが、日泰寺という由緒あるお寺のある古い街。
表通りから一本中に入ると、50年は経つであろう黒い木塀で囲まれた大きな家や、手入れされた広い日本庭園の家が
子ども時代の思い出そのままに残っている。友人達もそんな大きな家々に住んでいたが、当時のまま。
古い街ならでは、大きな木々も多く、緑ゆたか。風が吹けば、ざーっと葉がさざめき清々しい気持ちになる。
散歩をしながら、かつて住んでいた場所も訪ねてみる。
通っていたカトリック系のちっちゃな幼稚園は閉園していて、園長先生の住居だった洋館と大きな洋犬が走り回っていた庭だけに。洋館は、大正時代のものということで保存住居に指定されていた。
さらに足を進める。目指す先は、住んでいた家の裏庭の先にあった小さな豆腐屋さん。
母に頼まれるとアルミの入れ物を抱え、裏庭の金網の破れをすり抜け、お豆腐を買いに行っていたのだが、さすがにないだろうと思っていたら、あった!
思わず店をのぞきこむと、おじさんが、
「いらっしゃい!」
「おじさん、昔ここに庭が坂になった小さい家があったの覚えてる?」
「あーあー、知ってるよ。大きな木があったよね。」
「そうそう!25年前までここに住んでたの。」
そんな会話を交わしながら、一丁100円のお豆腐を買う。
住んでいた家は、ピアノを玄関に置くしかなかったほど小さな家で、弾きながらバランスをくずし、後ろ向きのまま玄関のたたきに転げ落ちたことも。しかも、木がボーボー、草ボーボーだから青大将やムカデもよく登場。
それでも大好きだった。ワタシの原点。
駅に戻る途中、真っ白な蛇が木に巻きついていた山神社に立ち寄る。秋祭り。法被を着て獅子舞をし、厄除けに額に朱を塗ってもらったことを思い出す。
気持ちはすっかり子ども時代に戻り、心もきれいに洗われた。
Posted by 丘
at 12:06